特別対談:水谷紹 × 一色進

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dialogue

with

Susumu Isshiki

新しいディストリービューターを紹介して下さり、東京中低域の新譜リリースをプッシュして下さった一色進さんと水谷紹とで、バンドのこと、作曲のこと、歌のこと、などなど “ボク達なんでこうなっちゃったのか?” 対談。
 

水谷「まず、ウルトラヴァイブ(配給会社)を紹介して頂いたこと、お礼を言わなければなりません」
一色「いい感じですか?」
水谷「はい、すごく良くして頂いてます」
一色「今回は東京中低域のアルバムなの?」
水谷「はい、いろんな事情でなかなか出来上がらなかったのですが、年内にリリース出来ることになりました。 11月23日にも会場先行発売します」
一色「ウルトラヴァイブには早めに資料出さなきゃいけなかったり、大変じゃなかった?」
水谷「いえ、それはどこのディストリビューターでも同じような進行ですし。今回は担当の五月女さんが書類作成手伝って下さってスムーズに整いました。一色さんはウルトラヴァイブはいつから?」
一色「シネマの“サイエンス・フィクション・マン”を作る時に『ウチで作りませんか?』って連絡があって」
水谷「うわあ、素敵な話ですね」
一色「ちょうどそれまでのディストリビューターと都合が悪くなったので、じゃあ流通も全部移そうかって」
水谷「一色さんは同時進行しているユニットというかバンドはいくつあるんですか?」
一色「基本的にはジャック達とシネマなんだけど。ジャック達は休業中だし、シネマもメンバーみんな忙しいし、それで“イッシキ・アット・オール”っていうのを始めて」
水谷「そっか、ボクもトリコミやリンネルズがあるんだけど、メンバーみんな忙しくしていて、やりたい時にやれないのがホントにモドカシイです」
一色「“イッシキ・アット・オール” はオレの全部のキャリアの中から曲を選んでやるユニットでね。これまでずっと演ってきてなかったタイツの曲とか、シネマの曲とか、ナイジェルの曲とかを。新曲もやるんだけど」
水谷「じゃあちょうど、ここんところのポール・マッカートニーみたいな」
一色「そうそうそう。あーゆーのバカにしてたんだけどね、ジョージの曲までやってんじゃないよ、ってさ。でも、オレだってこの先どのくらい歌っていけるかなって考えちゃってね。そんな思いで“イッシキ・アット・オール”を一回やってみたら結構お客さんが喜んでくれたんで、2回目をやることにしたんだよ」
水谷「ボクたち、年寄りでもないけど、若くもないですからね」
一色「そう、作曲はいつまでも出来るんだけどね。去年インフルエンザをそれと気づかずコジらせてしまって、声が全然出なくなってしまってね。元々ヴォーカリストではないんだけど、歌を歌うライブは今のうちにたくさんやっとかなきゃって思って、そん時」
水谷「ほんとうにそうですね」
一色「ま、歌うって言うよりか喋ってるんだけどさ、オレは」
水谷「今朝(10/27)ボク、めざましテレビの“今日の運勢” が一等賞だったんですよ、牡牛座が。“なんでも思い通りになるでしょう”って。それでね、ラッキーパーソンが“冗談をたくさん言う人”だったんですよ。これから始まるボクの1日を見透かしたような占いでビックリしちゃった」
一色「オレ面白いこといっぱい言わなきゃいけないじゃん」
水谷「ボクも15年くらい前かな、声が出なくなるのがすごく怖かった時期がありました。でも東京中低域が始まっちゃって、そんなに歌わなくてもよくなっちゃって、(声出なくなっても作曲は出来るから)まあ大丈夫だなって思えるようにはなりました」
一色「シネマとかだとオレもベース弾くだけだけどね。でもオレたち、せっかく自分の歌の曲があるんだからね、歌った方が良いよ」
水谷「はい。とはいえ東京中低域のときは2~3曲を箸休め的に歌うのがちょうど良い比率なんですよ」
一色「海外ツアーの時は英語とかで歌っているの?」
水谷「そうしてた時もなくはないんですが、ここんとこは日本語で歌っちゃってます。言語が備えてる音声的な響きも音楽だし、変えない方が良いかなと」
一色「それもそうだね」
水谷「向こうの人に“なんで英語で歌わないんだ?” って言われることもありますけどね。意味が知りたいんでしょうね。でもどうしても英語に置き換えきれない日本語のニュアンスがありますから。ところで一色さんは今年何周年くらいなんですか?」
一色「オレはシネマがプロのデビューで、あれが80年だから…37年か。ただ、最初にプロダクションに入ったのは高校出てすぐだったからね。クラウディってバンドだったけど、レコードリリースには至らなかったからね、それは70年代初めくらい」
水谷「早いですね。ボクは70年代は小学生とか中学生でした。それにしてもボクはヒトより10年やることが遅れてるので…」
一色「なんで?」
水谷「レコード会社と契約できたのが30歳だったんですよ。23~4歳くらいから所謂プロの現場でサポート・ミュージシャンはやっていたんですけど。夢中で働いてるうちに、どんどん時間が過ぎちゃって、そんなこと忘れかけてたころにデビューの話が持ち上がって」
一色「シネマだってよくデビュー出来たなって思ってたよ。個性の強いバンドだったから」
水谷「当時は今よりも一桁も二桁も制作費がかかりましたからね。ひとつデビューさせるのにたくさんお金が必要だったわけだし、真剣に選ばれてのデビューだったと思いますよ」
一色「電通のヒトがスタジオにいてさ、曲の構成とかに口出して来てたよ。2分以内に盛り上がりが欲しいんですけどー、とか。コマーシャルに使うんでー、ってね」
水谷「このごろはどんな感じで作曲してるんですか?」
一色「例えば月に3日とか、作曲に専念する日を作って書いてます」
水谷「いいなあ、それは贅沢ですよ」
一色「でも、オレもさ、なんていうか作曲の“腹筋”が落ちて来たというか、あと少しのところが出て来ないことがある。こうして(バッファローチキンに)レモンを絞って最後に種が落ちるとこまでが欲しいのにね。そこが曲の個性になるようなところがね。それが全く出て来なくなったら作曲なんてやめちゃうと思う。やっぱり最新曲が最高傑作じゃなきゃあ、やる必要ないと思ってて」
水谷「本当にそう思います。一方ね、今回ソロアルバムの方で25年前に録音した曲で“今ならもっと良く出来る”って思った1曲をセルフ・カヴァーしてみたんですよ。それは普段ライブでやっている作業なんですけどね、“今ならこうする”というのは。今回は録音でしてみました」
一色「それは聴いてみたいなあ」
水谷「ボクはさっきも言ったように歩みが10年遅れていましたから、テクノポップにも乗り遅れ、辛うじてニューウエーブの最後に引っ掛かってたかな、いや、引っ掛かってないか。25年前、やっとデビューしようってのに、立ち位置が判らない、どんな音を出せばいいのか判らない、そんな状況でしたから」
一色「暗黒の90年代ってヤツだよね。でもそれが良かったんじゃない。それが東京中低域にまで水谷紹を運んで来たんだから」

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一色「じゃ、11月23日のコンサート、見に行きます」

水谷「お待ちしています」

[2017年10月27日・Sign外苑前2Fにて、鉄幹(芋焼酎)ロック&水割り、バッファローチキン頂きながら]Photo:Manami Maeda


<プロフィール>
音楽家 一色 進(ジャック達)
 
1955年北区滝野川に生まれ、
以後、板橋、鶴瀬、池袋、高円寺、新代田、高田馬場、大山、西葛西、千川、浜田山、川越と移り住み、
現在は横浜鶴見に棲息する。落ち着きの無い人生を歩む。
新代田時代にシネマの一員として、CBSソニーよりレコード・デビュー。(1980年)
高田馬場時代にタイツを結成。(1983年)
浜田山時代にジャック達を結成(2003年)
これまでにそこそこな数のアルバムやら楽曲を発表する。
2007年シネマが復活。「CINEMA RETURNS」を発表。
2012年自身初のソロ・アルバム「歪(いびつ)」を、福岡史朗プロデュースで制作、発表。2014年2月にジャック達10周年記念アルバム「禁断のジャックフルーツ」発表する。
2014年シネマ「SCIENCE FICTION MAN」ジャック達「JOYTIME」
2015年ソロ・セカンド・アルバム「60」
2016年ジャック達最新アルバム「JACK TOO MUUCH」と怒涛のリリース・ラッシュが続いてる。
インディーズ・レーベル「GO→ST」主宰。
ジャック達、一色進、西村哲也、大なり小なり等の作品を発表している。

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