IKI-TOMO #3
Interview with Géry Dumoulin, curator of the Musical Instrument Museum in Brussels, on baritone saxophones and Tokyo Chutei Iki.
2014年11月25日(火)
ベルギー_ブリュッセル_楽器博物館
ジェリー・デュムラン_Géry Dumoulin
楽器博物館(MIM)・学芸員
(インタヴュアー:イツコ・ウォーレン/水谷紹=東京中低域・域長)
『東京中低域とMIM、将来何か一緒にできるでしょうか。ベルギーと日本の架け橋となるような。』
『私たちは、今既にここで橋を渡しあっているようなものですよ。今朝(東京中低域がMIMの前で演奏をした時点で)、もう橋は架けられたと思います。』
Q:まず自己紹介をお願いします。
Géry:私はGery Dumoulinといいます。この楽器博物館(MIM)の管楽器部門の学芸員で、今回の特別展SAX200の企画責任者でもあります。
Q :サキソフォンという楽器が、ベルギー人のアドルフ・サックスによって発明されたということは、一般のベルギーの人々によく知られていますか。
Géry:さあ、それは街頭で一般の人々に聞いてみたほうが良さそうですが、おそらく多くの人がアドルフ・サックスについては知っていると思います。最もよく知られたベルギー人の一人と言っても差し支えないでしょう。有名な自転車競技のエディ・メルクス(Eddy Merckx)と肩を並べるくらいと言うか。通貨がユーロになる前のベルギー・フランの紙幣にはアドルフ・サックスの肖像が印刷されていました。
Q:因みにいくらの紙幣でしたか。
Géry:200フランです。その紙幣には、今回の展覧会(SAX200)でも展示されているサキソフォンの一つが印刷されていましたし、このような理由から、ほとんどのベルギー人がアドルフ・サックスを知っているのではないかと。知らない人はいないとは言い切れませんが、実によく知られた人物だと言えるでしょう。
Q:アドルフ・サックスが最初に発明したのはバリトン・サキソフォンだというのは本当ですか。
Géry:彼がサキソフォン・ファミリーの中で最初に手がけた、いわゆるプロトタイプはベース・サキソフォンです。(*ジェリーさんはBass saxophone in Cと言っています。)1841年の産業EXPOの際、当博物館にほど近い会場で、この楽器の演奏を披露しました。ただ、発明品として特許を取得する前だったので、実物の楽器を人前には見せず、カーテンを引いた後ろで演奏して音だけを人々に聞かせました。この時点では、まだ完成品とはいえない楽器でしたが、始まりはベース・サキソフォンでした。
その次に、彼はバリトン・サキソフォンを作りました。展示室でご覧になったかもしれませんが、完成したサキソフォンの中で最も古いものがバリトン・サキソフォンです。彼がまず最初に作りたかったのは、低音域の管楽器でした。オフィクレイド(Ophicleide)のような低音域のものという発想から、まずはベース、次にバリトン、そして後にテナー、アルト、ソプラノといったサキソフォンに続いたわけです。
Q:ベルギーでは、バリトン・サックスは一般的によく知られた楽器でしょうか? アドルフ・サックスが発明したという事実が一役買って人気が高いというような傾向はありますか。
Géry:一般的にはアルトやテナー・サキソフォンの方がバリトンよりもよく知られているでしょうね。サキソフォン・ファミリーの中では、バリトンの知名度は高いほうではないでしょう。
Q :アドルフ・サックスの一生をかいつまんで話していただけますか。
Géry:アドルフ・サックスはワローニャ(Wallonia)地方(*日本語ではワロン地方とも言うようです)のディナン(Dinant)という美しい小さな町で生まれましたが、そこで暮らしたのはほんの数ヶ月で、両親とともにブリュッセルに移り住みました。ここで父親のシャルル・ジョゼフ(Charles-Joseph)が自らの楽器工房を開きました。アドルフが最初にサキソフォンを作ったのは、この父親の工房で、その後1842年に彼はパリに移り、一年後に自らの会社を興してからは1894年に亡くなるまでパリで暮らしました。
Q:アドルフの息子について。
Géry:アドルフの息子は父親の後継者となりました。丁度アドルフが彼の父親を習って楽器作りを始めたように。楽器製作を始めた息子、アドルフ・エドワード(Adolphe-Edouard)は社名をアドルフ・サックスとしました。自分の名前にはこだわらず、父の名前を尊重したようです。彼はトランペットやトロンボーンなど、サキソフォン以外の楽器も製作しました。
アドルフ・サックスがなくなった1894年から1928年まで、アドルフ・サックスの社名で楽器製作は続けられましたが、1928年にこの会社は有名なフランスのサキソフォン製作会社セルマーに売却されました。アドルフ・サックスの名は製作会社名としては途絶えたものの、アドルフ・エドワードがセルマーに引き継いだ事で、その功績は今なお忘れ去られる事なく受け継がれているといえるでしょう。
Q:今も存命のアドルフ・サックスの子孫は。
Géry:もう誰もいません。彼の孫娘が数年前、21世紀の初めに亡くなって、サックス家は途絶えてしまいました。
Q:ところでベルギーにはサキソフォン奏者が何人くらいいるのでしょう。
Géry:皆目見当がつきませんが、かなりな数になるはずです。ベルギーには実に多くの管楽器を含むバンドやグループが存在しますし、音楽院もいくつかあり、音楽を学ぶ学生が沢山いますから、必然的にサキソフォン奏者も多いでしょう。
Q:音楽はベルギーの文化に根ざしている、ベルギーには音楽愛好家が多いと。
Géry:そうですね。それに沢山のグループやバンドが色々な新しいムーブメントを作り出していて、常に生き生きとしたシーンがあります。それにジャズも盛んです。音楽院の中にはジャズ部門を持つ所も多く、クラシックだけでなくジャズの演奏家の育成にも熱心です。
Q:現在ベルギーにサキソフォンを製作している会社はありますか。
Géry:オリジナルのサキソフォンの特許の有効期限が切れた後は、どこの楽器制作会社でもサキソフォンを作る事ができるようになったので、ベルギーにある多くの会社でもサキソフォンの製作を始めました。例えば、マイヨン(Mahillon)は楽器製作会社で、代表のヴィクトル・シャルル・マイヨン(Victor-Charles Mahillon)は、1877年にこの楽器博物館が創立された当時の最初の学芸員でもあるのですが、彼もまたサキソフォンの製作に携わっていました。
ですから、19世紀から20世紀にかけてベルギーでは多くの楽器製作会社がサキソフォンを作ってきました。フランスやアメリカなど他の国々でも同様にサキソフォン製作は盛んでしたが、ベルギーでも一時期は実に沢山の会社がサキソフォンを製作していました。しかし、20世紀の間にベルギーではその数が少しずつ減ってしまい、現在ではベルギーの会社でサキソフォンを作っている所はほとんどなくなってしまいました。フランソワ・ルイ(Francois Louis)という会社はマウスピースやリードを作っていますし、オーロクローム(Aulochrome)という新種のダブル・サキソフォンの開発もしていて、まだ製作会社はベルギーに存在するのですが。それに、フランダース地方のブルージュにある会社は「アドルフ・サックス」の名を社名として買取り、台湾にある工場で製作したサキソフォンにアドルフ・サックスの名を冠して、ヨーロッパで販売しています。
Q:ところで、日本の伝統的な管楽器はご存知ですか。
Géry:私の専門ではありませんが、当博物館の東洋の楽器を担当する部門には日本の伝統楽器に詳しい同僚の学芸員がいます。館内には尺八が展示してありますし、収蔵品の中には他にもいくつか日本の伝統楽器がありますが、私の専門外なのでこれ以上のコメントは遠慮したいと思います。
Q:なぜ、サキソフォンはクラシックよりジャズやポップスで利用される事が多いのでしょうか。
Géry:ジャズにおけるサキソフォンの重要性は実に大きく、クラシックにおけるそれとは比べ物になりません。もちろん、クラシックでもサキソフォン用の楽曲は沢山あるわけですが、ジャズにおいてはほとんど同意語というか、サキソフォンすなわちジャズと言っても良いくらいに密接で重要な楽器といえるでしょう。
これはジャズ界でよく知られた素晴らしいミュージシャンたちの多くがサキソフォン奏者であることからもうかがえます。コールマン・ホーキンス、チャーリー・パーカー、スタン・ゲッツ、ソニー・ロリンズ等々、ジャズにおいてサキソフォン奏者の存在は実に重要です。
私はサキソフォンはジャズのために作られた楽器と言っても良いのではないかと思うのです。この楽器が発明されたのはジャズという音楽が生まれるよりもずっと前ですが、サキソフォンはジャズを作るのにすごく向いているんです。
Q:どうしてでしょう。
Géry:なぜなら、サキソフォンは人間の声のように、話すように表現ができるからだと思います。演奏者は、たぶん他の楽器、クラリネットやトランペットを使うよりも、サキソフォンを使う事でより上手く自分を表現できるのではないでしょうか。サキソフォンでは、人の声に非常に近いかたちで音色を変化させる事が可能です。ジャズ界にはこの特性を実に上手く生かして表現するサキソフォン奏者が沢山います。
Q:アドルフ・サックスについて、発明家として、実業家として。
Géry:まず初めに彼は発明家であり、音楽家でした。彼の一番の関心は音楽であり、楽器であったわけで、実業家としての商才は、楽器を発明したり製作したりする才能ほど優れていなかったかもしれません。とは言え、彼は自ら発明した楽器を一般に広めるために、楽器製作以外の色々な試みをした先駆者でもあります。コンサートを企画し、音楽出版も手がけました。新しく発明した楽器のための楽曲を作り、その譜面を出版しました。
彼は新しく発明した楽器を市場に広めるために、発明品の製作からさらにそれを取り巻く様々な新しい試みを手がけたわけですから、単なる発明家、楽器製作者に留まらなかったと言えます。
Q:バリトン・サックスのみのアンサンブル、東京中低域について。
Géry:素晴らしいと思います。バリトン・サックスはサキソフォン・ファミリーの中でも一般的な知名度がそれほど高くない楽器。ジェリー・マリガンのような偉大なバリトン・サキソフォン奏者は存在しますが、一般的には他のサキソフォンほどには演奏する人も多くない中で、バリトンにスポットライトを当てるのは大変意味のあることだと思います。
バリトン・サキソフォンの大きく広がる低音域を使ったサウンドは実に見事で、まるで歌うような演奏。バリトン・サキソフォンという楽器の良さを完璧に生かしたアンサンブルだと思いますよ。
Q:東京中低域とMIM、将来何か一緒にできるでしょうか。ベルギーと日本の架け橋となるような。
Géry:私たちは、今既にここで橋を渡しあっているようなものですよ。今朝(東京中低域がMIMの前で演奏をした時点で)、もう橋は架けられたと思います。私は独断で色々な事を決められる立場にはありませんが、もし将来、日本のバリトン・サキソフォン奏者たちと一緒に何かできる機会があれば、喜んで協力したいと思います。